除夜の鐘を安心・安寧の音色に

 今年も残すところわずか。コロナ禍のとんでもなく大変な一年の暮れです。

 先週末に学生時代から店に通ってくれているお客さんが仕事納めの後に店に寄ってくれました。 そのお客さんはお坊さんで年末年始は実家のお寺の副住職の役割をしに帰るのですが、除夜の鐘の話しなどに話しが及びました。 除夜の鐘を町の人たちがお寺につきに来て、例年ならカップのそばをふるまうのですが今年はしない。梵鐘も屋根上にあるので階段が密にならないように気をつけてやらないとなど、コロナ禍下らしい話しになりました。そして実家のお寺ではまだそんな話しはないが、「除夜の鐘がうるさい💢」と苦情のでるところもあるこの頃はどんなもんなんでしょうか?と戸惑いを発しました。確かに今朝の新聞の一面コラムにも除夜の鐘の騒音トラブルを触れてました。

 世知辛い世の中と言ってしまえば、確かに世知辛いのですが、事はそれですまないのではないかと我が町内での出来事を思いながら色々考えました。

 ここ数年、町内の自治会の連合会の役員の仕事をしているのですが、夏祭りなどの行事が町内会の高齢化で継続が難しいということで今年度の初めから組織の改革議論を始めました。議論の前提に自治の現状などをアンケートをしてみるとなるほど高齢化が進行して町内会自体の存続も危ぶまれるところもあって、行事を中心に組織が出来上がっている町内会活動はなるほど重荷になってることはわかります。

 子供の頃、大晦日と言えば、家族みんなでレコード大賞見て、紅白見て、ゆく歳くる年の除夜の鐘を聞く、そんな風景が思い出されます。三世代が同居して、家族団欒の大晦日で新年を迎える。言うならばサザエ一家を思ってみてください。 それも今は昔。ここ40年で三世代が同居するなんてのはどんどん少なくなり核家族世帯も通り越して単身者世帯がますます増える一方というのが現状のよう。

 こんな社会の変容が除夜の鐘が安心・安寧の音色ではなく騒音に聞こえる事情にあるのではないか。また町内会活動の高齢化による停滞も同じ理由なんだと思えます。

 三世代同居家族をモデルに町内会活動の基本が出来上がっているのが停滞の原因だと思い至りました。 そして、これは町内会活動に限らず、日本社会全般の問題だと言えませんでしょうか。

 個人が大切にされる社会、ひとりひとりの個人を基礎単位に社会を編み直すこと。除夜の鐘を安寧に聞き年を越せるには、そんな風に変えていくことが大切なのではないか、コロナ禍の年の瀬に強く思います。